8.21 犠牲祭①
今日からイード(犠牲祭)で3連休。
イードはイスラームの最大の
お祭りのひとつ。
もう一つは断食明けのお祭りだそうだ。
この二つのお祭りは日本人にとっては
お正月のような大きな行事で、
人々は服を新調したりして
新しいものを揃えてこのお祭りを迎える。
彼らは、羊や山羊などの家畜をほふり
犠牲にされた動物を囲んで
豪華な食卓に感謝し、このお祭りを祝う。
動物を犠牲にささげるのは、
イブラーヒム(イスラーム預言者の一人)の
故事にちなんでいるそうだ。
イブラーヒムは待望の息子を授かるが、
彼が少年になった時、生贄に
するようにとの神の命令が降った。
そしてイブラーヒムが悩んだ末
息子を犠牲にしようとした
その時、イブラーヒム親子の確固たる
信仰を確信したアッラーが命を助け、
その代わりに子羊が生贄に
されたというものである。
この故事に由来して、イスラーム国では
毎年羊や山羊、ラクダがが
この日に犠牲にされることになった。
私たちのドミにも前日から二匹の
山羊がやってきた。
これはJICA職員からガルディアンへの贈り物だそうだ。
犠牲にささげた家畜は、
三分の一を家族に、
三分の一を親類や友人に、
三分の一を屠るための家畜を買うことの
できなかった貧しい人と
わけあうことになってるそうだ。
可愛い山羊たち。
日本では、昨日まで目の前にいた
動物が目の前でお肉になるとこ
なんて経験したことがなかった。
だから、、、
昨日はできるだけ山羊との
接触を避け、感情移入しないようにって
心がけていた・・・
(結局全然現実と向き合えてない自分。)
でも庭にいるから
嫌でも目に入るし、可愛い山羊たちが
こっちを見てくるとつい近寄りたくなる。。。
イード前夜、夢の中で山羊が屠殺される
シーンが出てきて、血の匂いがする
気がして目が覚めた。
その後も「あ~もう殺されちゃったのかな。」
って考えると憂鬱な気分になった。
朝目が覚めると、山羊は屠られる時に
声を発するらしいという情報を耳にし
それを聞きたくなくてずっと
イヤホンをして音楽を聴いてしまった。
(またもや現実逃避)
ガルディアンが今から屠るから
みんな見においで~と言われても、
すぐに見に行くこともできず、
遠くからその光景を
見ることしかできなかった。
27年間、色々な動物から生きる力を
与えられてきた。
それなのに、、、
この光景を凝視できないなんて。
自分が情けないなって感じた。
この歳になってやっと、動物の命の
ありがたみを心から感じた気がした。
私たちは生きてきたんじゃなくて
生かされてきたんだなって。
たくさんの命をもらって
生きてきたんだなって。
こんなに感じたのは初めて。
いつも何気なく食べているものも
今日からもっと感謝の気持ちを持って
頂こうって感じた。
日本では街角で動物を解体するなんて
光景は目にしない。
普通に暮らしていたら
その過程を見ることはない。
でも、それを見ること、知ることも
とっても大切なことなんだなって思った。
食育の大切さを改めて感じた瞬間だった。
アフリカに来て
色々感謝することがたくさんある。
学ぶことがたくさんある。
毎日、吸収吸収。